複雑な私
2009年 07月 07日
今日はすごく暑かった・・・
『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二 を読みました。
最近、というかここ数年、脳ブームですよね。
私が初めて読んだ脳関連の本は、『海馬』(糸井重里、池谷裕二共著)でした。
それと同じ著者の最新刊。著者がいちばん気にいっているという渾身の作。
脳関連の本は、最近それこそぽんぽん出版されているけれど、どれも入門です。
そしてこの本も入門です。
入門だっていいじゃないか!私は、まず入門しなければ何もわからないですから!
なので私はけっこうたくさんの本で「入門」しました(笑)
その中でも、この本が一番よかったです。
何がそんなによかったのか、というと、
まず、著者が高校生相手に開くワークショップ形式なので、語り口が丁寧で例も身近。
あと何より、内容が脳科学に全然留まらないことがよかったです。
文中に(講義最終日の高校生の感想で)ふれられているとおり、
脳科学が生物学や心理学、哲学、社会学、政治経済倫理芸術……をつなぐハブになりうる。
だから話はどんどん他へ飛んで行くのがよかった。
なかでも主に哲学の話に飛びがちなのは、やっぱり、
「自分の脳を使って脳について考える」ということ自体が矛盾をはらむ哲学だから。
いろいろと面白かったけど、やっぱりいちばんおもしろかったのは、
「自由意志は存在しない?」という問い。
脳科学的見地から言えば、自由意志(私が「そうしたい」と思ったからそうした)はない。
例えば、「手を動かそうと考えて手を動かした」場合、
ふつうは、
「動かそう」という認知 → 脳の準備 →脳の指令 → 「動いた」
と思うのだけど、
ほんとうは、
脳の準備 → 「動かそう」 → 「動いた」 → 脳の指令
の順番で起こっているということが実験で分かっているのだそうです。え!?
つまり、「動かそう」と意図するかどうかは脳の活動を見れば予想できる。
その意図時点では、もう、自由意思は存在しない・・・
とゆうことは私たちは決定論にしたがって生きていかなくてはならないのか?
という問題に対して、けっこう「へぇー!」な解釈が載ってます。ぜひ読んでみてください!!
こういう講義に高校生で出会えるなんて幸せな後輩たち・・・
『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二 を読みました。
最近、というかここ数年、脳ブームですよね。
私が初めて読んだ脳関連の本は、『海馬』(糸井重里、池谷裕二共著)でした。
それと同じ著者の最新刊。著者がいちばん気にいっているという渾身の作。
脳関連の本は、最近それこそぽんぽん出版されているけれど、どれも入門です。
そしてこの本も入門です。
入門だっていいじゃないか!私は、まず入門しなければ何もわからないですから!
なので私はけっこうたくさんの本で「入門」しました(笑)
その中でも、この本が一番よかったです。
何がそんなによかったのか、というと、
まず、著者が高校生相手に開くワークショップ形式なので、語り口が丁寧で例も身近。
あと何より、内容が脳科学に全然留まらないことがよかったです。
文中に(講義最終日の高校生の感想で)ふれられているとおり、
脳科学が生物学や心理学、哲学、社会学、政治経済倫理芸術……をつなぐハブになりうる。
だから話はどんどん他へ飛んで行くのがよかった。
なかでも主に哲学の話に飛びがちなのは、やっぱり、
「自分の脳を使って脳について考える」ということ自体が矛盾をはらむ哲学だから。
いろいろと面白かったけど、やっぱりいちばんおもしろかったのは、
「自由意志は存在しない?」という問い。
脳科学的見地から言えば、自由意志(私が「そうしたい」と思ったからそうした)はない。
例えば、「手を動かそうと考えて手を動かした」場合、
ふつうは、
「動かそう」という認知 → 脳の準備 →脳の指令 → 「動いた」
と思うのだけど、
ほんとうは、
脳の準備 → 「動かそう」 → 「動いた」 → 脳の指令
の順番で起こっているということが実験で分かっているのだそうです。え!?
つまり、「動かそう」と意図するかどうかは脳の活動を見れば予想できる。
その意図時点では、もう、自由意思は存在しない・・・
とゆうことは私たちは決定論にしたがって生きていかなくてはならないのか?
という問題に対して、けっこう「へぇー!」な解釈が載ってます。ぜひ読んでみてください!!
こういう講義に高校生で出会えるなんて幸せな後輩たち・・・
by sukusuku-y
| 2009-07-07 22:55
| 感想(books)